こんにちは。
気持ちのよい快晴が広がっています。
都内の紅葉はまだ少し先でしょうか…?
前回は「私のこと」と題して
パーソナルな部分の自己紹介を書きました。
(更新したあとも、見直して何度も書き直していますが…)
今回は後編として
「ピアノと私」について自己紹介をしようと思います。
ピアノとの出会い
「子どもの時に習いたくても習えなかった」…という、母の思いが
ピアノを習うきっかけで
最初は確か…KAWAIの講師の先生に自宅に来ていただいて、
3つ上の姉と一緒に習っていました。
同時に母も「娘に教えたい」という思いがあったようで
本格的な個人教室に通っていたようです。
姉と母が一緒に練習しているのを見ていて
私も弾けるようになってしまうことが多く
(姉は不器用で、私反対でとても器用でした…)
あまり頑張らず、それでも褒められてしまうので
嫌だったり、苦労した思い出はありません。
私も小学校に上がり、
次第に姉妹で時間を合わせて自宅でレッスンをすることが難しくなってきたので
最初の先生とのレッスンはそこで終わってしまいました。
…あまりレッスンの内容は覚えていないのですが
優しくて可愛らしかった先生が大好きで
最後のお別れの日は大泣きした記憶があります。。
初めてのコンクールから絶好調!
小学校の低学年の時に
当時、母が習っていた先生のお教室に通い始めます。
今でもお世話になっている恩師の先生です。
3年生の時に訳も分からず初めて受けたコンクール(ピティナ)で
B級予選通過。
4年生の時には本選で上位入賞。
先生に「本選入賞以上の結果が欲しかったらグランドピアノで練習しなさい」
…と言われて祖母にグランドピアノを買ってもらい、
6年生の時には全国大会出場。
その他にも、栃木県内のコンクールでは毎年上位に入賞していて
県内のコンサートにもたくさん出演していました。
とにかく器用で、幼少期から”真似”することが得意だったので
それが演奏にも良い形で繋がったようです。
1つの曲に対して、何種類もCDを聴いて
いろんな弾き方を真似していました。
ピアノに専念する為、他の習い事も辞め
1年中何かのコンクールに追われていて
平日は4,5時間、休日は6~8時間練習していました。
あまり”自分の意志”という訳ではなかったのですが
コンクールでいい結果が出て
母が喜んでくれるのが嬉しかったです。
自分の意志が分からない…
中学の時にはコンクールの全国大会でも上位に入賞でき
ピアノでの頑張りの成果もあり、
栃木県内でトップの進学校に推薦で入学することができました。
(その高校も実は、母が行きたくても行けなかった高校でした…)
音楽を志す場合、高校から音大・芸大の附属高校や
音楽科のある高校に行く人が多く
皆さん学校でもレッスンを受けていたり
音楽史や音楽理論を授業の中で学んでいます。
私は、普通高校、しかも進学校に通っていたので
なかなか中学までのような集中力を持って練習に取り組めず
コンクールでも思うような結果が出せずにいました。
勉強も学年で常にビリ…
ピアノも中途半端な状態…
その頃よく母に、
「弾けるから弾いている…というような演奏。
自分の意志が感じられない。」
と言われていました。
しかし自分でも、自分の意志が分からず
毎年流れで受けていたコンクールだけを受け続け
結果は出たり出なかったり…
それでも、生きることの一部になっていたピアノの練習を
”やらない”という選択肢は全くありませんでした。
恩師から
「自分の好きなようにやりなさい。
普通はそんなに、お母さんの期待に応えられないよ。」
…と言っていただいたのが、心の救いになっていました。
音大進学
高校2年生くらいの頃から、
恩師が自宅教室に、東京音楽大学の先生を招き
定期的に”特別レッスン”を受けていました。
もし私が、
進学校の中で、周りと同じように勉強を頑張れていたら
違った未来もあったのかもしれませんが…
とにかく「私は頭が悪い。行ける大学なんてない。」
…と思っていたので
自然と、「音楽大学へ行く。」という選択肢しか
ありませんでした。
その時にたまたま
東京音大の先生とのご縁があった…。
それが大学決定の理由です。
外部からの音大受験に必要だったのは
・実技
・音楽系科目(楽典・聴音・視唱)
・学科(センター試験:国語・英語)
でした。
圧倒的に実技の比重が大きく、
レベル的にも「実技で落ちることはない。」と
言って頂けていたので
受験期もあまり焦ったり切羽詰まったり不安になることはありませんでしたが
直前で初めて取り組んだ楽典や聴音は散々な結果でした…
入学してから分かった、入試の順位は
実技・学科は上位でしたが
音楽系科目は数百人の中でも下から数えた方が早いくらい…
自分の位置がはっきりとわかりました。
音大在学中。どこに行っても少数派…
音大の中に入って分かったのは
”自分の特殊さ”でした。
周りは、音楽高校や音楽科のある高校で
実技・楽典・初見…などをバランスよく学んでいました。
…音楽高校に入学するということは
中学生の時点で音楽科目を学んでいるということ。
その時点で私とは大きな差があったのです。。
高校の進路を決める頃に意志を持って「音楽の道」を選択し
音楽科目を勉強し、実技の基礎を習得、
その上でその先の音楽大学に道が繋がっていたのです。
私の場合
弾けるピアノをずっと弾いていたら
ここまで来てしまった…!
ずっとコンクールを受けていたので
大曲は弾けますが、音楽知識や基礎は疎かです!
…という感じ。。
よく友人に
「えりちゃん、なんでそんなに弾けるのに
こんなこともできないの?」と
いろんな場面で言われて
不思議がられていました。
正に、"のだめ"。
…感覚だけでピアノを弾いていた。
そのことに音大に入って初めて気が付き愕然としました。
それでも心のどこかで
「演奏が全て」だと思っていたので
苦手な初見も聴音も、
授業の出席点だけでなんとか単位を取り、
必要以上に頑張らずに切り抜けてしまいました。。
音大卒業。なにもない私。
音大生の卒業後の進路というのは
なかなか厳しいものがあります。
就活をするのは…5分の1くらいでしょうか。
音大の中から一般企業を目指すのは珍しかったので
大学内をリクルートスーツで歩いているのは浮いていました。
「え!音大生なのに就活するの?」…という目が向けられていました。
学年で実技がトップクラスの数名は
留学したり、音楽院に進みます。
(…私は大学の先生と折が合わず、院へは進みませんでした。。)
一番多いのは大手楽器店での講師採用。
(それでも半分くらい…)
採用試験は実技の他に、グレード試験などがあり
その中に私が苦手な科目がたくさん含まれていて
「絶対無理‼‼‼‼‼」と思っていたので、端から楽器店は
選択肢の中にありませんでした…
そして、音楽科の教員採用試験を受ける人が数名。
残りはみんな「フリーの演奏家」…という、
道なき道を
自分の方法で進んでいきます。
私の、初めての大きな挫折があるとしたら
ここかもしれません。
コネなどがある訳ではないので
始めは自分で自分を売り込むべく、
いろいろなコンサート出演や、
定期的に演奏ができる場、
ギャラがでる演奏の仕事などを探し
条件などを調べる中で
「自分はどこにも通用しない。」
と気づいてしまったのです。
リストやショパンの大曲が弾けます!
…それをコンサートで弾いてお金になるのは
認められたプロの一部のピアニストです。
曲の感情を深く追求して音にするのが得意です!
…現場ではその場その場で空気に併せて
臨機応変に演奏を変えられることが重要です。
初見はできますか?
コード譜はよめますか?
即興やアレンジはできますか?
五線譜しか読めない演奏家には仕事はありません。
自分の技術はお金にならないんだ…
必要とされていないんだ…と
突きつけられました。
だからと言って、
そこから現場で通用する技術を身につける情熱もなく
レッスンや目標もない中で、
もはや意味のないと思ってしまった演奏技術を磨くモチベーションもなく
自然と、人生で初めて「ピアノを弾かない日々」が、数年続きました。
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自己紹介の「後編」で、
これで終わるはずでしたが
どんどん長くなり収まらなくなってしまいました…(笑)
次回、
自然とピアノから離れてしまった私が
ピアノの講師となった紆余曲折を書こうと思います。
読んで下さりありがとうございます♬
前回の自己紹介、
次回の記事も、読んで頂けたら幸いです。
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